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災害時の体験談① - ハクゾウメディカル株式会社

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看護師・助産師「あっきょ」のコラム

災害時の体験談①

作成日:2021年01月12日(火)

1月17日の阪神・淡路大震災から今年で26年が経ちます。
もう随分前になりますが、その時の体験談をお話できればと思います。



この日は職場(大学病院)の新年会の日で、私は前日から担当のぜんざいを鍋一杯に作り、
ガスレンジの上に置いていました。

地震を感じたのは、早朝の5時46分。起床前のベッドの上でした。


前後左右に揺れ、ベッド柵を持っていないと横の窓から放り出されそうでした。
窓の鍵が掛かっておらず、窓が開いたり閉じたりして本当に怖かったです。

この時は震度4弱と報告されました。
体感としては、かなり揺れ、和室の仏壇が倒れてきました。
すぐにテレビをつけましたが、被災の状況はまだ分かりませんでした。


地震が起きたが、自分は職場に行かなければならない。
子供達は学校に行けば何とかなると思い、送り出しました。
後で聞くと、小学校も窓ガラスが割れ危険なため自宅待機となり戻ってきたようでした。


職場には、車で行きましたが、大学病院は平成5年7月に移転したばかりで、
新しい病院だから大丈夫だろうと思いました。

しかし、出勤すると私が勤務していた8階の病棟は14階建ての真ん中あたりで、
上下に圧縮されたように病室の南側の大きな窓の下に一直線に亀裂が入り、大変なことになっていました。

前日の術後の患者は固定されていたベッドが動き、
点滴の支柱台が倒れないように自分で支えるだけで精一杯だったと聞きました。

最上階の病棟は、点滴を収納している棚から点滴の瓶等が落ち、
揺れが相当大きかったことが想像できました。
この時を契機に点滴ボトルが瓶からソフトバッグに変更されたのではないかと思います。

数年経過しても横なぶりの大雨の時は、地震の時に入った亀裂の部分から浸水し、
新聞やタオルを使って雨漏れを防いだ記憶があります。


大学病院の外壁はタイル仕上げになっており、地震後数年経過した寒い冬の時期に
窓の外をタイルをひとつひとつ確認している作業員を見ました。


隣の研究棟は、実験装置や棚が散乱し、水道管は破裂し、水浸しになっていたようです。
建て方の基準が異なると、このような悲惨な状況になることもよく分かりました。

徐々に被災の状況が明らかとなり、ヘリポートがある大学病院のため
倒壊した家の下敷きになった患者が次々と運びこまれました。


その多くの患者は透析が必要な為、大量の水が必要でした。
ただ、8階以上には水が上がらない状況だった為、当病棟でも透析患者ケアを任されておりました。

患部は膨れ上がり、痛みが酷く、大変な状況で、家族も分からず一人で必死に耐えており
どのように声掛けをすればいいのか?看護側もそばでいることだけで精一杯でした。

また、被災地の応援に医療チームを組み、手を上げた経験豊かな看護師が当病棟からも参加し、
応援にいきました。
現場は寒く、ネズミがウロウロしている中で仮眠を取らないといけない環境下での支援状況でした。

今、トリアージ(選別)という言葉を耳にしている方も多いと思います。
この時の教訓から患者のトリアージが始りました。

後になって聞いた話ですが、友人の中には自宅が倒壊し、
下敷きになった家族を助けようと必死になり、一晩で白髪になったと聞きました。
このようなことは、本の中の話だと思っていたのでした・・・

また、震源地の断層を間近で見る機会がありました。
それまでは、関西は地震が少ないと思っていたのでした。

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