災害時の体験談②
続いて、2018年に発生した大阪府北部地震についての体験談をお話したいと思います。
前職(病院)で勤務していた時のことです。
朝、通勤のため箕面市のバス停で待っている時に、
下からドーンと突き上げるような揺れで思わずしゃがみ込んでしまいました。
震度5弱だったようです。
一緒にバスを待っていた女性は、『小学生の子どもが心配だから家に帰ります』
と言って帰ってしまいましたが、
私はどうしても職場に行かなければならず、バスは少し遅れてきましたが、
職場まで何とかたどり着けました。電車でなくて良かったです。
その日は朝の通勤時間帯の地震のため、スタッフが十分揃わない中ですが、
病院の機能をどのレベルで対応すべきか早い段階で職員に示す必要がありました。
一応マニュアル通りに沿って対応しましたが、一番困ったことは、
病院のエレベーターが停止してしまい、
患者の昼食を病棟に運ぶことができなくなったことです。
解決策は、人力で2か所の非常階段を使用して、
地下から1階ごとにバトンをつなぐようにして5階までリレー運搬で行いました。
実際、地下2階から運んでいたので7階分ありました。
不思議といつもの配膳にかかる時間には、患者さんにお渡しできていました。
これを夕食時も行わないといけないのかと思っていたところ、
夕方にはエレベーターが復旧し、ホッとしたのを覚えています。
病院は新しい耐震構造で優れていましたので、他に障害が無く済みました。
しかし、公共交通機関はマヒしていたため、
車を乗り合いにしてもらったりして対処してもらいました。
私も帰宅困難者を自宅に泊めたりしました。
職員の中には自宅の家具が転倒し、ドアが開かなくなり天井に穴が開いたりで、
そこに住めなくなったりで、大変な状況が続きました。
普段から災害時のマニュアルに沿った対応を
訓練しておくことが必要と骨身にしみました。
この年の7月中旬は私の次女が出産予定で、東欧に行くことになっていました。
予定日の3日前に到着し、出産に合わせて運動を開始しましたが、
なかなか生まれず、予定日を過ぎて4日後にやっと生まれました。
いただいているお休みが限られていたので、産後1週間しか世話ができず
後ろ髪惹かれる思いで帰国しました。
9月に入ると、台風21号による強風と高潮で関西空港の被害がありました。
この台風の影響で、職場も被害がありました。
お昼の時間帯で、病棟から職員宿舎の屋根の一部が飛んでいくのが見えました。
まだ新しい建物なのにどうして??
強風に煽られたのでしょうか??
屋根のはがれたその下のお部屋は雨漏りで、移動してもらいましたが、
修理するまで時間が要したのを覚えています。
また、自宅近くの高校は野球場の太いフェンスが何本も倒壊し、
道路側にせり出しバスが通れなくなり、停電も3日ほど続き
大変な状況となりました。
地震の次は台風と次から次へと自然災害が続き、
今後、日本はどうなるのかと気持ちが沈んでしまった出来事でした・・・