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約400年続いた出部屋(でべや)とは? - ハクゾウメディカル株式会社

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看護師・助産師「あっきょ」のコラム

約400年続いた出部屋(でべや)とは?

作成日:2020年04月03日(金)

うらとわれは出部屋友達じゃけんのう(わたしとあなたは出部屋『ママ友』やからね)

私の生まれた伊吹島には室町時代から昭和45年まで約400年続いた「出部屋」がありました。

出産を自宅で終えた女性たちが赤ちゃんと一緒に家を離れ、別小屋「でべや」にて産後の1か月間、集団生活をする制度となります。

今でいう産後ケアセンターのような役割になるのでしょうか?

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古代社会では血をみることを忌(い)み、月経や出産を赤不浄(あかふじょう)といい、別棟に小屋を作り、別火生活をしたといわれています。

その後、部落共用の小屋を持つに至り、女性たちはそれを喜んで受け入れていたようです。普段の過重労働から解放され、自分と新しい生命にのみ向き合える貴重な時間でした。

自分の食べるものを作り、児の着物を縫ったり、仲間とおしゃべりしたり、先輩から子育ての機微(きび)を教わったり、一緒に食事をしたりしていました。一家の嫁が長期に体を休められるのはこの期間しかありませんでした。
子供たちはよく遊びに行き、普段より母親に甘えることができました。

出産は赤不浄として血を見ると不漁になるといわれ、男性は夫といえども、この出部屋には近寄れることができませんでした。出部屋で交流のあった子供は出部屋友達、現代風にいうと『ママ友』みたいな感じですが、長い付き合いがありました。

私が小学生のとき、叔母が実家で出産する場面で
「あっきょ、もう産まれるんや。はよ、うどんたのんできてくれんきゃ(もうすぐお産やから、はやく、うどんを頼んできてくれますか)」
と言われ、
走ってうどん屋に出前を頼みにいき、皆でうどんをすすったのを覚えています。

横では、叔母はそれどころではなく、ヒイヒイいっていたのを横目で見ていました。もちろん、私も出部屋で世話になった一人です。
火鉢を囲んで談笑する写真の一人は私の叔母で、横に寝ているのがいとこです。

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ここでは、嫁姑問題もなく、母乳が足りない時は貰い乳もできる環境は母子にとってもこの上なく幸せでした。

初産の女性と何人も子供を産んだ経産婦が同じ出部屋で暮らすので、子育ての知恵も教えていただけます。
このような島で育った私は、将来、助産師の職業を選択するのは必然だったように思います。
子供を島全体で大切に育てる、伊吹の子育ての原点がこの出部屋にありました。

少子化で子育て支援が議論されていますが、若いお母さんだけで悩まないで、地域のおばあさんの知恵を借りて、子育てを乗り切ってもらえればと思います。
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