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母親の介護 - ハクゾウメディカル株式会社

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看護師・助産師「あっきょ」のコラム

母親の介護

作成日:2021年02月22日(月)


私が、島に住んでいた母親を大阪に呼び寄せ、一緒に生活をするようになったのが、
母親が76歳ぐらいの時だったように思います。

ちょうど母が後期高齢者の年齢になり、持病の多発性関節炎で島の生活が一人では、
難しくなってきた時期でした。船をつかっての病院通いや、
日常の買い物にも急な坂道を歩いていくことが困難で、本人も納得した上での大阪への移住でした。

大阪での生活になじむため、介護認定を受け、要支援1で利用できるDサービスから始め、
週に2回程度、近くの老健施設のデイに行き、お友達もでき、楽しく過ごしていました。

両股関節の変形が強く、痛みによる歩行障害が強くなり、
80歳で両方一辺に両股関節置換術をすることになりました。
リハビリに若い男性の方が、お部屋に来ていただき、
丁寧にリハビリをしていただいたのが効を奏し、1か月で退院してきました。

その後は、トイレまで自力であるくことができました。
手首や指の動きも不自由でしたが、ショートステイを利用し始めたことがきっかで、
85歳すぎから少し、認知症の症状がではじめました。

一人生活が長かった分、自分のやり方をとおすことが多く、
頑固な面が前面に出て来て、デイにいくことをいやがるようになり、
幻聴や幻覚のような行動がみられ、一度、精神科に入院することになりました。

その後は、運動リハビリのため、リハビリ病院に入院し落ち着いたため、
もと居た老健施設で見ていただくことになりました。

しかし、お風呂を拒否したり、お薬を拒薬したりして、
よく、老健施設から電話がきました。私の許す時間の範囲で施設の場所をお借りして、
入浴介助をしたりしながら乗り切っていました。
そうする中で、施設の中での母の居場所が見つかりました。

食堂の入り口近くの席に座り、周囲を見渡し、
誰それがどうかとスタッフに報告をしていたようです。
施設の方には島でのイリコの仕事をしていた頃の話を楽しそうにしていたようです。
カラオケでは石川さゆりさんの天城越えが十八番だったようです。

最後は、施設での見取りも含めてお願いすることとなり、
施設の方々に手厚いサポートをしていただき、
2017年 89歳で人生を全うすることができました。

自分の遺灰は、伊吹島の海に散骨してほしいとの希望でした。
このことは、私が還暦の時(2013年)に島での風習で、10月の秋祭りに併せて、
島中のひとが総出でお神輿やチョウサを引き、
最後は大漁旗をなびかせた2隻の船にお神輿も載せ、
還暦の人も乗り、島の周囲を周遊してくれるのです。

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この日は母も夫も違う船に乗って一緒に周遊させてもらいました。

天気もよく、島を真近に見ることが出来ました。
この経験は私も生まれて初めてだったので、

大変嬉しかったことを覚えています。

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この4年後の秋祭りの時期に母は亡くなりましたが、
きっと懐かしい島に戻ったのでしょう。

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